会議の最中、ある人が口を開きかけて、もう一度閉じる。一拍の沈黙が流れて、次の議題に進む。録音にも残らないし、議事録にも残らない。
その人があとから「あれは言いそびれた」と言葉にすればまだいい。でも、たいていは言葉にもならず、自分でも「いま自分は何を言いかけたのだったか」を忘れていく。
ここで失われたものは、たぶん答えではなくて、問いだった。
会議では、誰の問いが、どこで、なぜ消えるのか。
「言わなかった」は録音されない
意見が出されないこと自体は、観察しにくい。出された意見は議事録に残る。出されなかった意見は、その場の記憶にすら残らない。
経営学の領域では、この「出されなかったもの」を扱おうとする研究が、2000年前後から少しずつ積み上がってきました。きっかけのひとつとされるのが、Morrison と Milliken が 2000 年に Academy of Management Review に出した「組織の沈黙(Organizational Silence)」という論文です(Morrison & Milliken, 2000, AMR)。
二人は、組織の中で「言わない」という選択が、個人の性格や気分ではなく、組織側の構造によって広く起きうると整理しました。中央集権度が高い組織、構成員の背景がそろっていない組織で、沈黙はより広がりやすい、というのが彼らの仮説の一つです。
そして、沈黙が続くと、無力感が学習されてしまう、とも書いています。何を言っても変わらない、と何度か感じると、そもそも問いを立てる動きそのものが止まる。
何を読めたか
ここまでで読めたのは、沈黙は「言葉が足りない状態」ではなく、ひとつの能動的な動きとして起きている、ということでした。
安全と感じる、ということ
少し前の話になりますが、Amy Edmondson が 1999 年に Administrative Science Quarterly に出した論文があります(Edmondson, 1999, ASQ / HBS faculty page)。製造業の 51 チームを調べて、チームごとに「ここで対人的なリスクをとっても大丈夫」と感じる度合いが違うこと、そしてその度合いが高いチームほど、ミスを共有したり助けを求めたりする学習行動が起きていることを示しました。
ここで使われたのが、いまでは多くの場で耳にする「心理的安全性(psychological safety)」という言葉です。注意したいのは、これは「優しい職場」や「衝突のない場」ということではない、という点です。Edmondson が中心に置いたのは、「対人的なリスクをとっても、ここでは罰されない」という共有された感覚のほうでした。
逆に言えば、心理的安全性が低い場では、人は対人的なリスクを避ける動きを自然にとる。発言を控える、保留する、相手の表情を見てから話す、という方向に身体が動く。
言わない理由は、たいてい言葉になっている
では、人はどんな理由で、自分の発言を引っ込めるのか。Detert と Edmondson が 2011 年に Academy of Management Journal に出した論文は、ここに踏み込みました(Detert & Edmondson, 2011, AMJ / HBS)。
ある多国籍企業で 190 名にインタビューを行い、人が「言わない」と決めるときに頭の中で動いている、当人にとっては当たり前の規則のようなものを五つ抽出しています。本人たちの中では、それらは「常識」「礼儀」「組織の現実」として語られていて、論文ではこれを implicit voice theories(暗黙の発話理論)と呼んでいます。
上司の前で公にしてはいけない 個別に持っていくならいいが、人前ではない、というルール。
確かな証拠なしに発言してはいけない データや裏付けがない問いは出してはいけない、というルール。
否定的な内容で言ってはいけない ポジティブな提案として組み直してから出すべきだ、というルール。
前任者や決定済みの案を踏まない すでに決まったことを引っくり返すのはタブーだ、というルール。
話を聞かれる立場でなければ黙る 自分はそれを言うべき立場にない、というルール。
これらは、上司が明示的に押し付けてくる規則ではなく、本人が自分で内面化している規則です。だから、たとえ職場が「何でも言ってください」と公式に宣言していても、これらの内面の規則は別の階層で動き続ける。
沈黙は「実演」されている
ここに、2024 年に出た新しい角度の研究を重ねたいと思います。Szkudlarek と Alvesson が Academy of Management Learning & Education に出した「会議で沈黙はどう作られているか(Doing Silence)」という論文です(Szkudlarek & Alvesson, 2024, AMLE)。
タイトルにある「doing」が、この研究の角度を表しています。沈黙は「ない」状態ではなく、「やっている」動きとして観察できる、と二人は言います。誰かが視線を落とす、誰かが頷くだけにとどめる、誰かが議題を次に進める、誰かが空気を読んで割り込みを引っ込める。これらの細かい動きが組み合わさって、特定の問いが「ここでは出ない」状態が能動的に作られていく。
この研究は、組織研究と教育の領域を扱っていて、沈黙が「恐れ」や「無力感」だけで説明できないことを丁寧に書いています。沈黙は、社会的な場面そのものが、声を引き出すのではなく沈黙の側へ人を運んでいくときに起きる、という見方です。
何が変わったのか
少し前まで、会議で意見が出ないことは「参加者の問題」として語られることが多かったように思います。声を出さない人がいる、若手が萎縮している、女性が発言しにくい、外国人が遠慮している、というふうに。
ここ20年あまりの研究が指し直したのは、視点の位置でした。沈黙は、ある一人の中で起きていることではなく、その人と、上司と、議題と、議事録の様式と、過去のやりとりの蓄積のあいだで起きている、と読み替えられてきた。
そして Doing Silence の論文がさらに踏み込んで言うのは、沈黙は欠如ではなく、複数の人がその場で能動的に作り出している作品のようなもの、という見方です。誰かひとりの問題に還元すれば、別の場面でまた同じ形で立ち上がる。
ここから考えたこと
ここから先は、読めた事実そのものではなく、それをどう受け取ったか、という解釈です。事実と分けて書きます。
研究を読み終えて、私の中で残ったのは、消えた問いは「弱い問い」だったとは限らない、という感触でした。むしろ、いまの場では誰も受けられない問い、論破される準備を相手側がしていない問い、議事録の様式に乗らない問いが、最初に消えていったのではないか、と読みました。
「言いそびれた」と感じる人は、たぶん何かに気づいている。気づいていたから、口を開きかけた。けれど、その問いが場に置かれたあとに何が起きるかを、半秒ぐらいで読んでしまった。「ここでこれを言ったら、たぶん、こうなる」。その読みが当たっていることも多いから、五つの暗黙の規則は強い。
問いを残すか消すかは、その問いの正しさで決まっていない。受け止め手の準備で決まっている、と読めます。
残った問い
ここまで読んでも、まだはっきり分かれていないところがあります。
消えた問いを、あとから拾い直す方法はあるのか。 個人の振り返り、議事録のあと書き、別の場での雑談——どれも実践されてはいますが、消えた問いの何%が拾われるのか、という測り方はまだ確立していないように見えます。
「心理的安全性」を高める介入は、どこまで届くのか。 Edmondson 以降、組織開発の現場で多くの介入が試されています。介入直後には測定値が上がることが多いと言われますが、暗黙の発話理論はそれより深い層で動いている可能性があり、そこまで届くかは別の問いとして残ります。
日本語環境での「言わなさ」は、同じ構造か。 ここで引いた研究は、主に英語圏の組織でなされたものです。日本の会議や、日本語特有の婉曲表現、沈黙のもつ意味の違いが、同じ枠組みでどこまで読めるかは、別の検証が必要だろうと感じています。本記事の範囲では到達できていません。
消えた問いの分布には、偏りがあるのか。 誰の問いが消えやすいか、どの種類の問いが消えやすいか、という分布は、おそらく中立ではありません。性別・職位・在籍年数・言語などによる偏りを定量的に示した研究には、今回十分には到達できていません。
次に読みたい問い
会議で消えていく問いの多くは、たぶん「これを言ったら、自分の身体がどう反応するか」を半秒で読んで引っ込められたものでした。胸が詰まる、喉が締まる、肩がこわばる——その身体の小さな反応は、言葉になる前に判断材料として使われている。
そうだとすると、もう少し手前の問いが立ちます。身体の違和感は、いつ「問い」になるのか。気のせいとして流される段と、誰かに話す段と、診察を予約する段のあいだに、何が起きているのか。
読んだ痕跡
この記事で読めた範囲と、読めなかったところを残しておきます。
英語圏の組織研究に大きく寄っています。Morrison & Milliken(米)、Edmondson(米)、Detert & Edmondson(米)、Szkudlarek & Alvesson(豪・スウェーデン)。日本の会議慣行や、日本語の沈黙を直接調べた研究には、本記事の検索範囲では十分に当たれていません。
一次資料に到達できたものと、要旨や紹介経由のものが混ざっています。Edmondson 1999、Detert & Edmondson 2011、Szkudlarek & Alvesson 2024 は出版元ページまで当たりました。Morrison & Milliken 2000 の本体は要旨と二次解説経由での確認にとどまっています。
「心理的安全性」「組織の沈黙」「暗黙の発話理論」という言葉は、コンサルティング業界でも研修業界でも広く流通していて、原典の主張から離れた使われ方をしている場面もあります。本記事では、できるかぎり原典の枠組みに戻して書いたつもりですが、私自身がその流通の影響を受けていない、とは言い切れません。
これは、2026年6月25日時点での情報にもとづく読みです。新しい資料に出会えば、また読み直します。